小さいウサギの曹丕の悩みは…父親ウサギの曹操と同じく、やっぱり小さいことです。
「ちゅうたつ…」
「なーに、子桓さま」
 勉強の合間にどうしたら大きくなれるか尋ねてみようと思いますが、教育係であるヤマネコの司馬懿は
笑って取り合ってくれないでしょうし、同じヤマネコの陳羣だったら
「ちゃんとお勉強して、いっぱいエサを食べたら大きくなれます」
 そんなふうに言うに決まっています。
 ほんとのことを言うと、曹丕は同じようなことを聞くのにもう飽き飽きしていました。
「ううん、やっぱ、いい」
 でも大きくなりたいのは本当です。
 だって大きくなったら弟ウサギの曹植にだって負けないでしょうし、敵がきたって怖くありません。
 うーんと背伸びをしてみましょうか?
 いいえ、それは昔曹操がやってダメだったんだと、いつかオオカミの夏侯惇が言っていました。
 じゃあエサをたくさんたくさん食べましょうか?
 ダメです。きっとお腹を壊して母ウサギの卞氏に叱られます。
 それに…曹丕が病気になったら、司馬懿や陳羣がきっと心配します。
(おっきくなりたい)
 毎日毎日考えて、ようやく曹丕はひとつのことに気づきました。
(そうだ。きょちょもちゅうたつもちょうぶんも、おじうえたちもみんな、くさじゃなくておにくたべてる。きっと
しかんもおにくたべたら…)
 とは言うものの曹丕に狩りなどできません。
 司馬懿や陳羣の獲物を分けてもらうわけにもいきませんし(だって理由を聞いたらふたりは怒るに決まって
ますからね)曹丕は悩みながら散歩していました。
 ある日、なにかすごくいやな臭いに気づきました。
 おそるおそる臭いの元に近づいていくと、だれかの死体を見つけました。
 曹丕と同じウサギではありません。
 どうやらイノシシの子供のようですが、曹丕の知り合いではありません。
 しかもすでにだれかが食べたあとらしく、お腹に大きな穴が開いていて血のかたまりと内臓が見えます。
「うえ…」
 見ていると気持ち悪くなってきます。
(あ、でもこれ、おにくだ。おにくたべたらきっと…)
 曹丕の頭に以前の考えが浮かびました。
(き、きもちわるい…ちゅうたつやちょうぶん、こんなのたべるんだ…)
 きっと司馬懿や陳羣も最初は気持ち悪かったでしょう。でも食べるうちにだんだん平気になったのかもしれません。
(さいしょ、ちょっとたべて、なれたらたくさん…そしたらおおきくなれる…)
 意を決した曹丕は目をつぶり、お腹の端っこの肉をほんのちょっと、ほんとにちょっとだけかじりました。
 目を閉じたままでほとんど噛まずに飲み込みます。口の中いっぱいに変な臭いが広がりました。
 曹丕はあわてて泉へいきお水をたくさん飲んで、ようやくいやな臭いを消しました。

 さて、その日の夜のこと。
「お、おなか、いたいよぅ…」
 真夜中になって曹丕が泣き出しました。
 母ウサギの卞氏が心配してお腹を一生懸命舐めますが、ちっともよくなる様子はありません。
 曹操のところにはサルの華陀というとても腕のいい医者がいます。でもこんな夜中にだれかお使いにいってくれる
でしょうか。
 困った卞氏は巣穴の外に出て、木の上を見上げました。
「司馬懿殿…いらっしゃいますか?」
 ほどなくガサガサと木の葉ずれの音がして、卞氏の前に影が下ります。
「奥方さま、どうされましたか?」
「子桓が…お腹を痛がっているのですが、私にはもうどうしていいのか…孟徳さまのところへいって、華陀殿を連れて
きてくださいませんか」
 しかしこんな真夜中に華陀はきてくれるでしょうか。それに今から出かけたら早くても連れてくるのは夜明け、曹丕が
我慢できるでしょうか。
「ちょっと私が診てみましょう。それでダメなら子桓さまをお連れしたほうが早いかと」
 司馬懿は巣穴の中に入って曹丕の部屋へいってみました。
 曹丕は身体を丸め、耳を折ってうめいています。
「子桓さま…お腹、どんなふうに痛いの?」
 曹丕はうっすら目を開けて、そこにいるのが司馬懿だとわかると素直に答えました。
「…きもち、わるい…おなか…ぐつぐつってしてる…」
 司馬懿にはすぐになにか変なものを食べたのだとわかりました。
「子桓さま、仲達の背中に乗って。お薬、取りにいこう」
 曹丕は痛いのをこらえて司馬懿の背中にしがみつきました。司馬懿が心配そうな卞氏を慰めます。
「奥方さま、大丈夫です。朝までに治りますよ」
 そうして巣穴を出るなり風のように走り出しました。
 到着した先は青々と生い茂る草の中。
 司馬懿は曹丕を下ろすと少しあちこちを調べ、ひと束の草を咥えてきました。
「子桓さま、これ食べて」
 いつものくせで曹丕は草の匂いを嗅いでみます。それがおいしいかどうか見分けるためにですが。
「…やだ」
 曹丕がいやがるのも無理はありません。
 だってその草はとてもにがそうな匂いをしていたんです。
「ダメ、食べて」
 いつになく司馬懿が怖い顔で言います。
 しかたなく曹丕はにがいのを我慢してその草を食べました。
 草がお腹に入ったか入らないかのうちに、曹丕はとても気持ち悪くなってきます。
 曹丕の吐き出したもの、その中にある小さな肉片を司馬懿は見逃しませんでした。
「子桓さま、なに食べたの?」
 司馬懿はやっぱり怖い顔です。
 肉片を吐き出したらお腹の痛いのが治ってしまった曹丕は、叱られるのが怖くて泣き出してしまいました。
「あらら」
 泣きじゃくりながら大きくなりたくて肉片を食べたことを話します。
 それが単なる好奇心などではなく、純粋な曹丕の気持ちを思うと司馬懿はそれ以上なにも言えなくなりました。
「子桓さま…子桓さまはどんなにがんばったってそれ以上大きくはなれないんだよ」
 そっと曹丕の頭に触れてそう言うと曹丕の身体がびくりとしました。
「…でも…」
「いいんだ。子桓さまはそれでいいんだよ…」
 司馬懿は曹丕のお腹の下に抱きました。
「こうやって仲達が守ってるさ。子桓さまは、子桓さまのままでいいんだよ…」
 司馬懿の温かい毛皮に包まれて、曹丕はそれでいいのかなと思いながら眠ってしまいました。
 朝になったら、きっとなにもかも平気になってると考えて。
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