趙雲の元に黄忠の一隊がやってきた。
「これは黄忠殿、いかがなされた」
 出迎えた趙雲に黄忠は一通の文を手渡した。
「丞相殿が趙雲殿に代わって某にここを任せるとおっしゃったのじゃよ。詳しいことはこの文を読んでくだされ」
 趙雲は渡された文を開いた。
 孔明の字で、趙雲の任を解き成都へ戻るように、と書かれている。
「さてさて、こちらが趙雲殿の副将の…?」
 黄忠は姜維に気づき顔を近づけた。姜維は深々と頭を下げる。
「初めてお目にかかります。趙将軍の副将を務めております、姜伯約と申します」
「丞相殿からお聞きしておりましたぞ。なるほど、趙雲殿と同じ目の輝きをしておられる…さぞ立派な武芸者で
あろうな」
 老人は孫を見るような目つきで姜維をながめ、何度も何度もうなずいた。
 そうしてその日のうちに、趙雲は旅支度をまとめ姜維・魏延とともに成都へと向かった。

 成都に到着すると、趙雲は真っ先に宮殿に向かい、劉禅に帰還した旨を報告した。劉禅の横には孔明が
控えている。趙雲は劉禅をあまり見ずに、淡々と言葉を述べる。
「趙将軍、よく戻られた。して、それがそのほうの副将か?」
「はい。詳しいことは丞相へ送った文の通りでございます。さ、姜維殿、こちらが劉禅様だ」
 姜維は膝を折り、劉禅の前に額づいた。
「姜伯約と申します。趙将軍の副将を務めております。これより蜀のために働く所存、どうかよろしくお願い
いたします」
 劉禅は不信そうな目を姜維に向ける。
「そなたは確か、魏の将であったそうだが…まあよい。これよりは朕に忠を尽くしてくれ」
 周囲の空気がいやなものになったとき、雰囲気を変えるように孔明が口を開いた。
「では趙雲将軍にはこれよりこの成都での駐在を命じます。姜維殿には成都に馴染んでいただいてから、
私の元で兵法などお教えしたいと思います。また将軍と姜維殿には成都の中にささやかですが家を用意
いたしましたので」
 ふたりは謹んでそれを受け、姜維は趙雲を置いて一足早くあてがわれた屋敷へ帰った。
 趙雲は孔明とともに昔話や戦話に花を咲かせ酒を酌み交わした。
 夜もずいぶん更け、少し酔いを覚まそうと座を外した趙雲の前に影がさした。
「…子龍将軍」
 劉禅だった。なにやら不愉快そうな顔をしている。趙雲は一瞬たじろぎながらも気を取り直して微笑んだ。
「これは劉禅様…どうなされました?」
 自分を無視したように孔明とだけ宴をした趙雲の態度が、劉禅にはおもしろくないようだ。
「いつまで丞相と話しておるのだ。朕もそなたには話したいことがたくさんあるのに」
「はは…それは失礼したしました。しかし、劉禅様もおかわりないようでよかった」
「よくなぞない!」
 劉禅はそう言い放つと趙雲に抱きついた。
「…そなたは冷たい…朕がどれだけそなたのことを思うているか、知っているくせに…」
「阿斗様」
 趙雲は劉禅を引き剥がした。
「このようなところをだれかに見られたら、なんとします?」
「かまわぬ。そなたとならばどんな噂を立てられようとかまわぬ」
「…阿斗様」
 返答に窮したとき、欄干の下に丸い明かりが現れた。
「…将軍?」
 ふと見れば姜維が手燭を持って立っている。いつからそこにいたのか趙雲と劉禅の話は聞こえていたらしく、
暗くてもその表情が沈んでいるのがわかった。
「姜維殿、いかが…」
「何用か? だれの案内もなしにここに立ち入るとは無礼であるぞ」
 何事かと問う趙雲の言葉をさえぎり、劉禅は一喝した。姜維は手燭を置きうやうやしく頭を下げた。
「先ほど所用のため将軍のお屋敷に遣いをやったところ、まだお戻りでないとの返事がありましたので
お迎えがてら宮殿にまいりました。慣れぬ場所ゆえ迷いまして申し訳ございません」
 劉禅は冷たい視線を投げかけ言い放った。
「将軍は今宵、朕と話がある。ここより直ちに帰るがよい」
 見上げれば趙雲が軽くうなずいている。姜維はもう一度頭を下げ、手燭を持ってその場を去った。
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