それからまもなく、姜維は孔明に呼ばれて登城した。
「お呼びでございますか」
「うむ、姜維殿、そなたを馬超殿の副将に任じます」
突然の異動に姜維はとまどう。
「しかし…私はまだ趙将軍の副将、なにゆえでしょうか」
「まず馬超殿からのたっての願いです。ぜひあなたとともに殿のお役に立ちたいと…」
馬超ならば趙雲も認めている。趙雲を愛しているのは事実だが、今趙雲は成都を留守にしている。
孔明も将をばらばらにしておくよりまとめたほうがよいと考えたのだろう。
姜維はうやうやしく頭を下げた。
「謹んでお受けいたします」
そして、姜維が馬超の副将として初めて戦に出たのは、皮肉にも趙雲が戦っているはずの白帝城であった。
「馬将軍、我が軍は呉軍に囲まれて危ない状態です。すぐに姜維殿を連れ白帝城へ。なんとしても呉軍を
退けるのです」
孔明の命を受け、馬超軍はすぐに成都を発った。
白帝城に到着した馬超たちが見たものは、火をかけられ悲鳴と怒号の中で逃げ惑う蜀軍だった。
(…趙将軍…!)
「急げ! 我が軍の危機ぞ!」
姜維はあまりの惨状に一瞬我を忘れたが、馬超の声に気を取り直し撤退する蜀軍を追ってきた呉軍の中に
切り込んだ。
「どけっ!」
群がってくる雑兵を槍で蹴散らす。しかしその動きはやがてぎこちなくなり…いつのまにか混乱した戦場の中で
趙雲の姿を探していた。
趙雲はどこにいるのだろうか。この混乱の中、よもや敵に討たれることはあるまいが…漠然とした不安にかられる。
「つっ!」
気がつけば突出しており、弓兵の放った矢が姜維の肩をかすめた。脇の雑兵が槍を繰り出してくる。
(しまった…!)
やられると覚悟を決めたとき、横から伸びてきた長柄の槍が雑兵を貫いた。
「馬将軍…」
「油断するな、姜維」
そして馬超は姜維に馬を並べると小さな声で言った。
「…趙雲殿が気になるのだろう。遠慮はいらん、探しにいけ」
「で、でも…」
「お前の注意が散漫では士気にかかわる。いくのならいけ」
姜維はほんのわずか沈黙し、きっぱりと言い切った。
「いいえ…いいえ、趙将軍はこのようなところで死ぬ男ではありません。それに…私はあなたの副将です。あなたに
付き従うのが私の務めです」
それから再び敵の中に突っ込むと声高々に呼ばわった。
「我こそは天水の麒麟児、姜伯約! 我と思わん者はかかってこい!」
近寄ってくる敵を次々となぎ倒していく姜維を優しく見つめながら、馬超は首尾よく蜀軍を逃がすことに成功した。
なんとか死守した白帝城は負傷した兵士たちでごった返しているが、その中に趙雲の姿はない。
「姜維殿、ご無事でしたか」
そう声をかけてきたのは魏延だった。
「魏延殿、趙将軍は…将軍はいずこに?」
「お恥ずかしいことですが某も見失いました。ただ…敵の注意をひきつけるために敵陣へ切り込んでいかれたのは
確かです。まだ戻っておられないのですか」
姜維は、ああ、と天を仰ぎそれきり言葉を失った。
ようやく騒ぎが落ち着いたころ孔明が到着した。
「趙将軍は…おられぬのですか…」
諸将が互いに顔を見合わせる中、孔明は長いため息をついた。
だれもが趙雲の死を予感し、隅のほうでは小さなすすり泣きさえ起こった。
戦況を報告するために魏延と黄忠が残され、退出した姜維の肩にそっと馬超の手が置かれる。
「辛いだろうな、姜維…」
姜維は涙をこらえて無理に笑いを浮かべた。
「どなたかの副将になったときより、このようなことは覚悟しておりました。以前の私であったなら、心細さに
震えていたでしょうが…今はあなたがおられますから耐えられます…」
そうして馬超の胸に顔を埋めると声を殺して泣き出した。
このままでは状況は芳しくないと判断した孔明は、ひとまず蜀軍を引き上げさせた。
しかし…そうなっても趙雲は戻ってこなかった。 |
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