たくさんの人が行き交う町の中、通りの角に1匹の子猫が捨てられていました。子猫は雨で
破れかけた箱の中で、鳴き声を上げるわけでもなく丸くなっているだけです。
 子猫は丸くなって、自分がなぜ捨てられたのかを考えていました。
 子猫は生まれてすぐに、ホンショという人間に飼われました。ホンショは子猫を大事に
してくれていましたが、子猫が成長したある日から子猫を嫌うようになりました。そして…子猫は
とうとう捨てられてしまったのです。
 子猫はあの日のことを思い出します。
 身体中が熱くなって、呼吸が激しくなり、いつも甘えるようにホンショに声をかけたとき、
ホンショはまるでとんでもないものを見るような目で子猫を見たのです。
(オレがなにをしたの…? オレ、どうして捨てられたの?)
 子猫のお腹には大きな傷があります。嫌われるようになってから、ホンショが投げたナイフが
かすめて、さっくりと切れたのです。自分で舐めてなんとか治しましたが、大きな傷あとは残って
しまいました。そしてその傷は夜になるとなぜかシクシクと痛むのでした。

 夜になって、またお腹が痛くなります。おまけに雨も降ってきました。もう何日もエサを食べて
いません。
(冷たいよ…お腹がすいた…)
 子猫は鳴かないのではなく、もう鳴くだけの力も残ってないのです。
 だれも子猫を拾ってくれません。それもそのはず、この町はつい最近まで続いていた大きな戦争が
終わったばかりで、みんな子猫を飼う余裕なんてないのです。
(もう、どうだっていいや…)
 そんなことを考えていたとき、大きな温かい手が子猫の頭を撫でました。
「おう、まだ生きているか」
 低い声が優しくささやきます。そうして大きな手は子猫を抱き上げました。
「かわいそうにな…俺と一緒にくるか」
 人間の男が子猫をのぞきこんでいます。子猫は残っていた力を振り絞って返事をするように
鳴きました。
 男は子猫のエサを買い求め、車に乗りました。子猫は車の中でようやくエサにありつけました。
 ガタガタと揺れる車の中、お腹がいっぱいになった子猫は、男の口笛を聞きながら安心して眠りの
中に入っていきました。
「さあ、今日からここがお前の家だぞ」
 子猫がついたのは、町からずいぶん離れた山の中の一軒家でした。
「俺はゲンジョウだ、わかるか? えーとお前の名前は…」
 ゲンジョウは子猫の首輪に気づきました。
「お前、飼い猫だったのか。うん? 首輪になにかはさんであるな…お前の名前が書いてある。
お前はモウトクっていうんだな」
 そういえばホンショは子猫をそう呼んでいました。
「よし、モウトク、今、お前の寝床を用意してやるからな」
 モウトクはしばらく家の中をウロウロしました。
 ホンショのお家よりずっと小さいけど、なんだか暖かそうなお家です。モウトクが気に入ったの
は、暖かい暖炉とその近くの椅子にどっかりと座っている大きなネコのぬいぐるみでした。
(ねえ)
 モウトクは自分と同じ姿のぬいぐるみに話しかけます。
(ねえ、遊ぼう?)
 でもぬいぐるみは返事をしてくれません。モウトクはぬいぐるみの膝に飛び乗りました。
「ははは、そいつが気に入ったのか。それは戦傷の慰労品にもらったものだが、俺には似合わんので
町へ持っていって売ろうかと思っていたんだ。でもモウトクが気に入ったのなら置いておくか」
 モウトクにはわからない言葉がいくつもあります。それに…どうしてゲンジョウには黒い目が
あるんでしょう?
 モウトクはゲンジョウに近づくと、ゲンジョウの目の黒いものを前足で触りました。
(ねえ、これなに?)
「俺の眼帯が気になるか? 俺は今度の戦争で片目をなくしてな、その慰めにあのネコをもらったのさ」
 やっぱりモウトクにはわかりません。でもモウトクは大きなぬいぐるみに自分でカンウという名前を
つけました。
「さあ、モウトクの寝床ができたぞ」
 藤でできたかごの中に毛布を敷いてくれたようです。でもモウトクはもう、自分の寝る場所を見つけて
いました。
「にゃあ」
 それは隣の部屋にあるゲンジョウのベッドの上です。
「おいおい、俺といっしょに寝るって言うのか」
 ゲンジョウは苦笑いしながらも怒りません。暖炉の火を消してベッドに入りました。その上にモウトクが
ちょんと乗ります。
「お前は甘えん坊なんだな…おやすみ」
 もう寒くありません。お腹も痛くありません。
 モウトクはとても幸せな気分で眠りました。
 それからモウトクは、いろんなことをゲンジョウから教わりました。
 戦争が終わってから、ゲンジョウは人間嫌いになってこの山に住んでいること。町へはときどき買い出しに
出かけるのと、恩給の確認にいくだけということ。この山を降りた反対側の森は、人間がだれも足を
踏み入れたことのない場所だということ。ゲンジョウは動物が大好きで、山の動物に危害を加えたことの
ないこと、などなど。
 だからモウトクも、ゲンジョウの言いつけを守って、小鳥をいじめることもしないし、ウサギを
追いかけるなんてこともしません。お家の周りに遊ぶところはたくさんあるし、カンウもいてくれるからです。
 それに…モウトクはゲンジョウが大好きなんです。

 モウトクとゲンジョウが一緒に暮らし始めてしばらく経ちました。
 モウトクは子猫じゃなく、人間だったら少年くらいの年齢になりました。
「ほぅ、今夜は満月か。このところずっと雨ばかりで満月などお目にかかれなかったからな」
 そういえばゲンジョウはよく月を見ながらお酒を飲んでいます。揺り椅子に座り口笛を吹きながら
グラスのお酒を飲むのです。そんなときの口笛はちょっと悲しいような気がして…モウトクはゲンジョウに
(ゲンジョウ、寂しいの?)
 って尋ねます。でもゲンジョウにモウトクの言葉はわかりません。
 ゲンジョウは揺り椅子を窓際に置き、テーブルの上にお酒と氷とグラスを用意しました。そんなゲンジョウを
モウトクはカンウの膝から見ていました。
 やがて、山の向こう側が明るくなり、夜が更けてから満月が顔を出しました。ゲンジョウが口笛を
吹き始めます。
 モウトクも満月を見ました。すると…身体中が熱くなっていきます。呼吸が速くなり、カンウの
膝からずり落ちてしまいました。身体が大きくなったみたいです。
「ハ…ハァ…」
 モウトクが落ちた音に気づき、ゲンジョウが振り向きました。そのゲンジョウの目が驚きに満ちています。
 ゲンジョウの目の前に、見知らぬ少年が立っていました。
 裸の少年は息を荒くし、うっとりとしたような表情でゲンジョウを見ています。お腹の下にあるそれは
上を向き、透明な液体で光っていました。
「だ、だれだ…?」
 思わず尋ねたゲンジョウに、少年の口からはこんな言葉が出てきました。
「モウ…トク…」
「モウトク? お前がモウトクだと?」
 ゲンジョウは少年のお腹に大きな傷を見つけると、少年が本当にモウトクだとわかりました。
ウソみたいですけど本当です。
 どうやらゲンジョウは今のモウトクの言葉がわかるようです。モウトクはありったけの力で、今まで
ゲンジョウに対して考えていたことを言いました。
「ゲン…ジョ…スキ…」
 これはなにかの魔法でしょうか。それとも神様がいたずらしているんでしょうか?
 そのときになってようやくモウトクはホンショのことを思い出しました。
 そうです。ホンショは満月の夜に月の光を浴びたモウトクを見て驚き、嫌うようになったのです。
 また嫌われる…大好きなゲンジョウに嫌われる。そう思ったモウトクは
身を縮めて泣き始めました。
「ゲ…ン…ゴメ…ゴメン…」
 自分は悪いことをしているのでしょうか…モウトクにはあやまることしかできません。
「なぜあやまる? お前がなにをいたずらしたというんだ」
 ホンショと違って、モウトクはゲンジョウに怒られたことは一度もありません。たとえどんないたずらを
したって、です。
 ゲンジョウはモウトクを優しく抱きしめ、頭を撫でてくれました。びっくりするのはモウトクの
ほうです。てっきりホンショのように嫌われると思ったからです。
「この傷は前の主人がつけたのか? かわいそうにな…」
 ゲンジョウはちょっと屈むとモウトクのお腹の傷を舐めました。だってモウトクはとってもきれいな
身体をしていたんです。モウトクの身体は電流が走ったような感じを受けました。
「ア…アア…」
 うっとりとしたモウトクの顔を見るうち、ゲンジョウはモウトクを愛したいという気持ちになりました。
優しく抱きかかえ自分のベッドへと運びます。

 ゲンジョウは何度も何度もモウトクにキスをすると、大きな手でモウトクのそれに触りました。
さっきよりもすごく感じることを怖がって、モウトクは思わず逃げようとします。
「ヤ…ア…」
「じっとしていろ…壊してしまいそうだ」
 ゲンジョウが指で何度か撫でると、モウトクは甲高い声を上げて自分のお腹とゲンジョウの手を
汚してしまいました。ゲンジョウはヌルヌルする指でモウトクのお尻を触ります。
「ア…ッ…ン…」
 ちょっと息を吐くとゲンジョウの指が中に入ってきました。
 ゲンジョウはモウトクを自分にしがみつかせ、なにか熱く大きな塊をお尻に当てました。
「爪を立てるなよ」
「ウ…アアーッ!」
 お尻どころか身体がふたつに裂けてしまいそうです。あまりの痛さにモウトクはポロポロと涙を
こぼしましたが、大好きなゲンジョウのためならと我慢しました。でも…なんだかだんだんとへんな気分に
なっていきます。
「ア…ハアッハアッ」
(ゲンジョウ…好き、大好き…)
 お腹の中に熱いものが流れ込んできました。モウトクはゲンジョウにきつく抱きしめられ、そのまま
気を失ってしまいました。

 翌朝、モウトクが目を覚ますともう元の姿に戻っていました。
(あれ? あれれ…?)
 モウトクが毛布の中でゴソゴソしていたせいかゲンジョウも起きたようです。ゲンジョウはしばらく
じっとモウトクを見ていました。
(どうして? どうしてオレのこと見てるの? オレ、また捨てられるの?)
 心細さを込めて鳴いてみます。でもゲンジョウは見つめているだけです。
(きっとオレ捨てられるんだ…だってゲンジョウ、ホンショみたいにびっくりしてた…オレ、また
嫌われるんだ…)
 悲しくて仕方がありません。でも今のモウトクはネコの姿に戻っているので涙が出てこないのです。
ゲンジョウの大きな手が伸びてきてモウトクを抱き上げました。外へ捨てにいくつもりでしょうか。
(やだよ、やだ! ずっと…ずっとゲンジョウと一緒にいたいよ。オレのこと、捨てないでよぉ!)
 一生懸命鳴いてみます。でもゲンジョウの力は強くて逃げることができません。
 だけど…ゲンジョウは抱き上げたモウトクを外へ連れていきませんでした。いつものように、
仲良しのカンウの膝に乗せたのです。
(え?)
 カンウの目が優しくモウトクを見ています。
(だいじょうぶ。ゲンジョウはお前を捨てたりしないさ)
 そんな風に言ってるように見えました。
「昨夜は不思議な夢を見たなぁ。わかるか、モウトク。お前が人間の男の子になった夢なんだ…
とてもかわいかったぞ」
 夢なんかじゃありません。ゲンジョウが夢だと思っていたいのは、きっとモウトクがネコに戻って
しまったからでしょう。
(じゃあオレのこと捨てない? まだここに置いてくれる?)
 モウトクがゲンジョウにしがみついて尋ねます。
「おいおい、どうした、そんなにしがみついて…心配しなくてもお前をどこへもやったりしないさ」
(だって…だってオレ、うれしいんだもん!)
「お前は俺の大事な家族だろう? ずっと一緒だぞ」
 モウトクは甘えるように抱きついて何度も何度も鳴きました。横で動かないはずのカンウも笑って
いるように見えました。

 それからふたりはずっと一緒に暮らしています。もっとも、そのあと夏の熱さに山が自然発火して
山火事を起こし、ふたりの家とカンウは燃えてしまうのですが、ゲンジョウはまた新しい家を建てましたし、
モウトクは新しいぬいぐるみを買ってもらいました。
 きっと今も幸せに暮らしていることでしょう。特に満月の夜は。
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