やがて夜がやってきました。
 あいにく今夜は満月ではなく、モウトクの目に映るのは櫛の形の月でした。
 天井の窓から月の光が煌々と差し込みますがモウトクは変身しません。
 今か今かと待ち構えていたホンショとシュンガイは失望しました。シュンガイが低く唸ってモウトクを怒ります。
(おい、早く変わってみせろ)
(ち、ちがうよ。オレはツキの形がまあるくないとダメなんだ。まあるいツキのときにオレはヒトになれるんだよ)
 モウトクが人間にならないとわかったらホンショはモウトクを殺してしまうかもしれません。
 それが怖くてモウトクはシュンガイに秘密を教えてしまいました。
 シュンガイの言葉がホンショに伝わるわけはありませんが、頭のよいホンショは以前のことを覚えていました。
「フン…そういえば月さえ出ていればよいというわけではなかったな。しばらく待つか」
 そんなことを言いながらホンショが立ち去って、モウトクはほっとしました。
 でも
「モウトクがあんな姿にならなければ…私もモウトクを捨てたりせず、一緒にいられたかもしれんな…」
 そのあとのホンショのつぶやきは、モウトクには聞こえませんでした。
 
 満月の夜はいつでしょう。
 モウトクは毎日不安な日を過ごしていました。
 そんなある日のこと、モウトクの部屋の前に奇妙なイヌがやってきました。
 大きさはモウトクよりちょっと大きいくらい。でもその頭は人間のそれと同じくらい大きくて、とても怖い姿を
しています。
(なんだお前…ずいぶんいい部屋に住んでるな…)
 イヌは人間みたいに笑いました。そう、人間みたいに、です。
(だ、だれ?)
(オレか? オレはなぁ、ヒトでもイヌでもないものさ…ヒトがオレの頭をよくしようとして、オレを眠らせてなにか
したんだよ。そしたらオレはこうなっちまった…オレはなぁ…オレはヒトが憎いんだよ…)
 イヌはそう言ってまた笑いました。とてもとてもいやな笑い方です。
 このイヌは、ホンショの家に住んでいるほかの人間が飼っているイヌで、頭を人間並みによくしようといろいろ
手術をした結果、心が壊れてしまったようでした。
(オレは…復讐するんだ…)
(フクシュウ?)
(そうとも。オレをこんな姿にしたヒトに仕返ししてやるんだよ)
 イヌはまた、あのいやな笑い方をすると廊下の奥へと姿を消しました。
 イヌの復讐というものがなんなのか、モウトクにはわかりません。
 モウトクが今願っているのは、満月の夜がこないように、満月の夜がやってきても雨であるようにとそればかりです。
 櫛の形だった月が少しずつ太っていき、どんどんまあるくなっていきます。
 明日か明後日には満月になるという夜、それは起きました。

 天窓を見ていたモウトクの鼻にいやな臭いが漂ってきます。
 それは以前にもかいだことのある臭い…火事の臭いです。
 女のヒトの悲鳴と男のヒトの怒号が飛び交っているのが聞こえます。
 今夜は客人をたくさん招いてのパーティがありました。
 そんな声はモウトクの足元、地下のほうから聞こえてくるみたいです。
 ヒトの声に混じって、イヌやネコの鳴き声も聞こえました。
 みんなみんな火や煙にまかれて助けを求めています。
 モウトクはどうすることもできずに部屋の中をうろうろするばかり…それよりここから逃げ出す方法がなければ、
モウトクだって危険です。
(開けて! 出してよ!)
 必死になって叫びますが人間たちは自分のことや消火で手一杯で、モウトクのことなんてだれも気づきません。
 やがてモウトクの前にあのときのイヌが現われました。
 イヌの口には大きな火のついたロウソクが咥えられています。
 イヌはモウトクを見るとそっと床にロウソクを置きました。
(なんだ…お前、やっぱり別格だったんだな…)
(ベッカク?)
 このイヌはモウトクにはわからない難しい言葉をいっぱい知ってるみたいです。
(お前は特別ってことさ…ほかのやつらはヒトと一緒に地下にいたもんな…だからオレはカギをかけて火をつけて
やったんだ…オレは火なんか怖くないからな)
 イヌはあのいやな笑いをします。
(地下に逃げるとこなんかない…あいつらだって、あんな姿でいるくらいなら死んだほうがマシさ、そうだろ?)
 あんな姿…地下にはほかにもこのイヌに似た姿の生き物がいたのでしょうか。
 でも、モウトクにはどうだっていいことです。
 今、一番大事なのはここから逃げることなのですから。
(ねえ、ここから出して)
(出たいのか? お前は生きたいのか?)
…ゲンジョウやブンエンはどうなったでしょう…?
 あのふたりがいなくなって、モウトクには生きる意味があるのでしょうか…?
 ややあってからモウトクはきっぱり言いました。
(うん。オレ、あいたいヒトがいる。探しにいくから生きてたい!)
 イヌは足元のロウソクを別の部屋に放り込むと、モウトクのところへやってきました。
(そうか…お前には希望があるんだな…)
(キボウ?)
 モウトクは尋ねましたがイヌは教えてくれませんでした。
 イヌは器用に留め金を外しモウトクの檻の戸を開けました。
(さあ…逃げろ…)
 モウトクは近くの出窓に飛び乗りました。
 ここからだったら飛び降りても大丈夫そうです。
(一緒に逃げようよ! ここにいたら死んじゃうよ)
 イヌは火が燃え移り、赤くなり始めたさっきの部屋からまたロウソクを咥えてきました。
(オレは…いいんだよ…オレはな…)
 そうして屋敷の奥へと消えていってしまいました。
 屋敷のどこかで大きな音がしました。
 きっとなにかに引火して爆発したのでしょう…モウトクは大急ぎで逃げ出しました。
 ほんのちょっとだけホンショのことを気にかけながら。
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