天まで焦がすかと思われるほど大きな大きな火事でした。
 一夜が明けて、まだ焦げ臭さと熱の残るホンショの屋敷跡で、集まったヒトたちはたくさんの死体を見ることに
なりました。
 たくさんの性別もわからないほどのヒトの死体と、元はいったいなんだったのかすらわからない不思議な生き物たちの
死体を、です。
 その中にはあの、頭の大きなイヌの死骸もありました。
 モウトクはというと、なんとか窓から飛び降りたもののそこは中庭だったために煙にまかれてしまいました。
 息をするのもつらくてつらくてしかたなかったとき、ヒトの手が差し出されたのです。
「ほら、もう大丈夫だぞ」
(ゲンジョウ…ゲンジョウかな…)
 モウトクはその手の中がゴールみたいに倒れこむと、そのまま気を失ってしまいました。
「かわいそうになぁ…よしよし、俺が連れていってやるぞ」
 モウトクの知らない男は、モウトクをやさしく抱っこするとホンショの屋敷をあとにしました。
 モウトクが目を開けたとき、そこは全然知らない場所でした。
 ホンショの屋敷よりずっとずっと小さくて汚くて、ゲンジョウの家よりもすごくいろんな匂いの混じった場所です。
(ここ…どこだろ)
「おっ、兄者、気がついたみてえだぞ」
 モウトクの目の前にぬっと現れたのは髭もじゃの男。
 その横から穏やかな目をした優しそうな男が顔を出しました。
「おお、生きてたんだなぁ…よかったよかった。今、ウンチョウに言ってなにか食い物をもらってやるからな」
 しばらくすると今度は長い長い髭の男が、小さな皿に牛乳と干物を持ってやってきました。
 モウトクは前に置かれた皿の匂いを何度か嗅いでから、お腹がすいていたこともあって慎ましやかに食べ始めました。
 食べているモウトクを見ながら髭の男が困った声を出します。
「兄者、生き物を飼うのは悪いと言わんが…うちは食い物屋だ。客に知れたら困るんだが」
 どうやら話を聞いてみると、髭の男はこの界隈で小さくて安っぽい食堂をやっているようで、残りのふたりはこの
食堂に居候しているようです。
「まあそう言うな。こいつもあの火事で家も飼い主もなくしたんだろう。新しい飼い主が見つかるまで…せめてこの傷が
癒えるまでくらいいいだろう」
 優しい目の男は優しい声で言って、モウトクを撫でてくれます。
 男の言葉にふと見れば、モウトクの大事な毛皮はあちこち焦げていました。
「それにネズミも取ってくれるかもしれんしな」
 長い髭の男は大きなため息をつきました。
「兄者にはかなわんな。だが店を開けているときはこいつを階下に下ろしてくれるなよ」
「俺ぁ、なんとなくこいつは気にいらねえなぁ」
 横から顔を出した髭もじゃの男がモウトクの尻尾を引っ張りました。
「なんか生意気そうでよ。第一こいつはホンショの屋敷に飼われてたんだろ? お高く留まった生活に慣れちまって、
こんなとこからはとっとと逃げ出しちまうんじゃねえか」
「ははは、それでもかまわんさ。逃げるってことは元気になったってことだからな」
 モウトクは少し足を引きずって、2階の窓から外をながめてみました。
 ちっとも整備されていない道を挟んで、小さくて粗末な家がいくつも並んでいます。
 大きな声で怒鳴る大人や薄汚れた格好の子供たちが走り回っています。
 ゲンジョウと暮らした山の生活とも、ホンショのような上流階級の生活とも違った、人々の暮らしがそこにはありました。
「ん? なにかおもしろいものでも見えるか?」
 アニジャ(モウトクはこの男の名前を知らないのでそう呼ぶことにしました)はモウトクの横にきて、一緒に外をながめます。
「なあ…ようやく内戦が終わって復興したというのに、貧富の差が激しくその日の暮らしもままならない人間ばかりだ…
俺はせめてこの町の連中だけにはそれなりの生活をさせてやりたいんだよ」
 自分自身が居候のくせにアニジャはそんなことを言うのです。
 でもモウトクはなんとなくアニジャの言うことがわかり、励ますつもりで小さく鳴きました。
(アニジャは優しいもん、きっとできるよ)
「ほほー、お前、まるで俺の言うことがわかるみたいだな。なかなか頭がいいのかもしれん…よし、お前の名前はアマンに
しよう。賢いネコにはいい名前だ」
(ちがうよ、オレはモウトクだよ)
 モウトクは一生懸命抗議しますが、アニジャにモウトクの言葉はわかりません。
「そうかそうか、気に入ってくれたようだな、アマン」
 ご自慢の毛皮が少し焦げてしまったので、首輪に名前が書いてあることもアニジャは気づかないようです。
「アマンねぇ…おいこら、ちょっとでもイタズラしたら猫汁にして食っちまうからな!」
 髭もじゃはそう言ってモウトクを脅かし、大きな大きな声で笑いました。

 さて、ホンショの屋敷跡にたたずむひとりの男がありました。
 男は帽子を取り、亡くなった人たちに弔意を捧げると焼け跡を見回し…ちょっと失望した表情を浮かべてその場を
去りました。
 火事から逃げてきたのでしょうか、少し離れた場所にイヌが倒れていました。
 あの獰猛なシュンガイです。
 シュンガイは身体中にヤケドを負っています。
「…まだ息があるか。よしよし、お前は俺が助けてやるぞ。どちらにしても今からブンエンの病院へいくからな」
 ゲンジョウよりずっと力持ちの男は、大型犬のシュンガイを抱えると車に乗せて消えていきました。 
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