最近、ネコのモウトクにはおもしろくないことがふたつあります。
 ひとつは暑くてしかたがなく、またあの日みたいな火事になったらいやだと心配することで、もうひとつはイヌの
ブンエンのことです。
 だって毎日、ゲンジョウはブンエンだけを連れてどこかへお出かけして、しばらく帰ってこないんです。
 モウトクがすねるのは当然でしょう。
 ブンエンはイヌですから、毎日の散歩が欠かせません。
 ゲンジョウはブンエンにリードをつけ、家を大きく迂回するようにして谷を回ってきます。これで1時間少々でしょうか。
 でもそのあいだ、モウトクはおうちでひとりお留守番です。

 ある日、モウトクはいつものように散歩に出かけるとき、思いきって自分も外に飛び出しました。
「おいおいモウトク、ちゃんと家にいないとダメじゃないか。それともお前も遊びにいくのか?」
 ゲンジョウはそう声をかけただけで、モウトクのことなんか知らないみたいにブンエンのリードを持って歩き始めます。
(モウトク、家にいたほうがいいぞ。だいぶ時間がかかるからな)
 ブンエンの説得にも耳を貸しません。
(今日はオレもいくっ! いくったらいくのっ!)
 一度言い出したらモウトクは聞きません。
(今日こそふたりがどこにいくか、調べてやるんだから)
 きっとモウトクはブンエンとゲンジョウにヤキモチ妬いてるんですね。
 ゲンジョウが家の扉を閉め、鍵をかけました。これでお留守番はぬいぐるみのカンウひとりです。
 さて、勢い込んでふたりの散歩に同行したモウトクでしたが、家からだんだん離れるにしたがって心細くなって
きました。
(ねー、もう十分お散歩したでしょ? 帰ろうよぉ)
 それでもふたりは知らん顔。モウトクはあわてて追いかけます。
 一生懸命がんばって歩いていたモウトクでしたが、とうとう疲れてへたばってしまいました。それに気づいてくれた
のはブンエンです。
 低く唸って振り向いたブンエンに、ようやくゲンジョウが気づきました。
「まったく…だから留守番していろと言ったのに」
 ゲンジョウはたしなめるようにそう言ってモウトクを抱き上げました。
(ブンエンとゲンジョウ、こんな遠くまでくるんだ…オレ、ついていきたかっただけなのに…オレも一緒にお散歩した
かったのに…オレはお散歩できないんだ…)
 モウトクはゲンジョウの胸に顔を伏せて、ちょっとだけ泣きました。

 それからしばらく、モウトクはふたりが出かけてもおとなしくお留守番していました。
(モウトク、出かけないのか?)
 あれからずっと沈んでいたモウトクに心で声をかけたのはカンウでした。
(だってお散歩でしょ。オレはお散歩できないもん)
(いや、今日は違うようだぞ)
 モウトクが億劫そうに顔を上げると、大きな荷物を持ったゲンジョウとブンエンがモウトクを呼んでいます。
「モウトク、早くこい。出かけるぞ」
 ゲンジョウがモウトクを抱っこして乗せたのはゲンジョウの車。どうやら今日のお出かけは遠くのようです。
(町いくのかなぁ…オレ、町きらいなのに…)
 ゲンジョウが町へいく目的はほとんど市場で物を買うためだけなので、いつもブンエンやモウトクはお留守番なのに
今日はどうしてなんでしょう?
 ゲンジョウの車は町とは別の方向へ走っていきます。
 窓の外をながめていたブンエンがモウトクをつつきました。
(モウトク、お前の好きそうなにおいがしてきたぞ)
(え?)
 モウトクが鼻をひくひくさせると、なにやら不思議なにおいがしました。
(なんだろ、これ? あっ、わかった。オレの大好きなお魚のにおいに似てるんだ!)
「さあついたぞ。モウトク、ブンエン降りろ」
 モウトクとブンエンの目の前に広がっているのは…青い海でした。
 もちろんどちらも海なんか見たことがありません。ただ、いっぱい水があるところとしか思ってないみたいです。
(ブンエン! このお水、動くよ!)
 モウトク、それは波ですよ。
(ここはやけに暑い…喉が渇いたな。水でも飲むか)
 ブンエンは波打ち際に近寄り口をつけました。
(…なんだこりゃ)
 当たり前ですよ、海水なんだから。
「ブンエン、喉が渇いたのか。お前の水はこっちにあるぞ。ほら、モウトクもこっちへこい」
 大きなパラソルの下でゲンジョウが呼びました。
(ねーゲンジョウ、ここどこ? お水が動いたりからいよ)
「なんだモウトク、海が珍しいか」
(うみ? これ、うみっていうの?)
 モウトクはもっとたくさん海を見たくなって、恐る恐る波打ち際に近づきました。
 足が濡れるのは大嫌いですけど、波と競争するのは楽しいですし、
(あっ、おさかながいるっ!)
 小さな魚がひらひらと泳いでいるのです。うれしくなって波と遊んでいます。
 ブンエンも久しぶりにリードを外してもらい、砂浜を自由に走り回ってうれしそうです。

 ブンエンとモウトクは並んで沈んでいく夕日を見ていました。
(いつものおひさまと違って見えるね…)
(そうだな…)
「お前たち、そろそろ帰るぞ」
 片づけを終えたゲンジョウが呼んでいます。
(さあ山へ帰ろうか)
(うん!)
 モウトクは何度も何度も海を振り返りながら車に乗りました。
 帰ったらカンウにいっぱい海の話をしよう、今度はカンウも一緒にこれたらいいなと思いながら。
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