夜明け間近、モウトクはいつもよりずっと早い時間に目を覚ましました。
まだブンエンもゲンジョウも起きていません。
どうして目が覚めてしまったんでしょう?
モウトクはいやな、こわい夢を見たような気がしました。
それがどんなものかは思い出せません。
でも、そんな夢を見たせいでしょうか。なんだかとてもいやな気持ちがして、モウトクの小さな胸が苦しくなります。
モウトクはそっと自分専用の出入り口から外へ出てみました。
朝の空気はさわやかで、紫色の空は今日も一日快晴であると示していますし、早起きの小鳥たちもなにもないと
さえずります。
モウトクは家の中に戻りました。
そろそろ起き出してきたブンエンも、まだ寝ているゲンジョウも、出窓のカンウも具合が悪そうなところはありません。
どうしてこんなに胸騒ぎがするんでしょう?
「あ、いたっ」
モウトクはお腹を押さえてうずくまりました。
「どうしたモウトク」
ブンエンが心配そうにのぞきこみます。
「おなか…痛いんだ…」
「なにか悪いものでも食べたのか」
「ううん、違う…」
ずっと昔のことのように思えますが…モウトクにはゲンジョウの前に飼い主がいました。
ところがその飼い主はモウトクが満月の夜、人間になるとわかり化け物扱いして捨ててしまったのです。
そのとき飼い主の投げたナイフがモウトクのお腹に当たり、モウトクのお腹はすっぱり切れてしまいました。雨の夜に
なると痛むその傷は、ゲンジョウによって癒され治されたはずでした。
あれからは全然痛まなかったのに、どうして今になって?
心配になったブンエンはゲンジョウを起こし、モウトクのお腹を舐めてくれました。
でもお腹の痛みは一向に止む気配がありません。
(ブンエン、それはなにか悪い前兆だ。いやなことが…)
カンウも心配そうです。
ゲンジョウが懸命にモウトクを診ますが、どこが悪いのかわかりません。
「モウトク、町の病院へいこう」
車の鍵を取り、モウトクを抱き上げようとした瞬間、ドアがノックされました。
こんなときにだれだろうとゲンジョウがドアを開けます。
吹き込んできたいやな風…モウトクは身をすくめました。
「だれだ」
いらだったようなゲンジョウの前には、上品そうでお金持ちらしい身なりの紳士が立っています。
「ここに私のネコがいると聞いてきたのだが」
そしてゲンジョウなんかいないみたいに家の中をのぞきこみ、モウトクを見つけました。
「ああ、こんなところにいたのかモウトク」
モウトクに伸ばした手をゲンジョウがさえぎります。
「おい、ちょっと待て。名乗りもしないでいきなりなんだ」
紳士は申し訳程度に帽子を上げました。
「これは失敬。私はホンショ。モウトクを以前飼っていた者だ。あの内戦のどさくさで行方がわからなくなってしまったのだが、
ここに預かってもらっていると聞いたのでな」
「嘘をつけ」
ゲンジョウがきっぱりと言い放ちます。
「貴様はモウトクを化け物扱いして捨てたんだ。おまけにケガまでさせてな…今さら返せるものか」
ホンショは驚きました。
だってホンショはモウトクが変身してすぐ捨ててしまったので、モウトクがしゃべれるのを知りません。どうしてこの男が
モウトクを捨てた理由を知っているのか不思議でした。
でもホンショはゆずりません。
「大方、町の人間にくだらぬことを吹き込まれたのだろうが…貴様の勘違いだ。私は必死になってこのネコを探していたの
だからな」
そうしてホンショは隠れようとするモウトクに手を伸ばしてきました。
「さあ帰るぞ、モウトク」
今度、ホンショをさえぎったのはブンエンでした。
ホンショに向かって牙をむき、低く唸ります。
でもホンショは平気そうな顔をして、ドアに向かって声高に言いました。
「邪魔なイヌだ。シュンガイ、噛み殺してしまえ」
ピイッと短く指笛で合図するとドアから1頭のイヌが飛び込んできました。
ブンエンよりも大きな黒いイヌです。シュンガイと呼ばれたイヌはブンエンの隙を突き、ブンエンの前足に噛みつきました。
ブンエンだって負けていません。噛まれた前足をかばうようにしながらもシュンガイの喉をめがけて向かっていきます。
「やめさせろ! おい、うちのイヌになにをする気だ!」
我慢できなくなったゲンジョウが叫びます。
「私の邪魔をするからさ」
モウトクも気になりますが、ブンエンのほうが分が悪いと見たゲンジョウがシュンガイを押さえようとします。
主人を守ろうとブンエンがひるんだ一瞬、シュンガイの牙がブンエンの喉に突き刺さりました。
「ギャンッ!」
今まで一度だって負けなかったブンエン…そんな声を聞いたのは、ゲンジョウもモウトクも初めてでした。
床に血がこぼれます。あわてて駆け寄るゲンジョウにブンエンは目で訴えました。
(主人…モウトク…モウトクを…)
「き、貴様…ただではすまさんぞ!」
怒ったゲンジョウがホンショに向かっていきます。
「ああ、モウトクを預かってもらっていた礼がまだだったな…こいつを進呈しよう」
そう言いながらホンショは胸のポケットから拳銃を取り出しました。
ゲンジョウが息を呑むのとそれが発射されたのはほとんど同時でした。
(ゲンジョウーっ!)
モウトクの鼻に火薬のいやな匂いが漂ってきます。怖い音は二度三度響きました。
ブンエンの横にゲンジョウが倒れこみます。
「さて、邪魔者はいなくなったな…おいでモウトク」
モウトクはカンウの陰に隠れ、精一杯毛を逆立てて威嚇しますがホンショはたじろぎません。
簡単にモウトクを捕まえるとシュンガイを連れて家を出ました。
(ゲンジョウーっ! ブンエーン!)
モウトクの鳴き声が、血の匂いがする室内に虚しくこだましました。 |
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