ビルの屋上に蛍のような明かりがひとつ灯る。
 周囲のビルのネオンに埋もれてしまいそうなか細い明かり…。
 だがそれは蛍の明かりではなくタバコの火だった。
 息を吸うたびに強く赤く灯る。
 その主は短くなったタバコを靴の爪先で踏み消した。
「仕事中にどこへ抜け出たのかと思えば…」
 夏侯惇は顔をしかめながら屋上の手すりにもたれる曹操に歩み寄った。
「息抜きだ」
「一時間近くも、か?」
「最近は禁煙場所が多く、楽にタバコも吸えん」
「お前の部屋は禁煙ではないだろうが」
「気分の問題だ」
 そう言って曹操は二本目のタバコに火をつける。
「ここからの眺めがよくて、つい戻るのを忘れた」
 夏侯惇は曹操の横に立って周囲の光景を見渡す。
 ネオンサインの明かりと車のクラクションの音。
 それに行き交う人々の雑踏がかすかに聞こえる。
「ふっ、このゴミゴミとした街のどこが眺めがよいのだ」
「下を見るな。上だ」
「上?」
 曹操の指差す方向を見る。
 ネオンサインではっきりとはわからないが星が見える。
 ひときわ大きな星とその横にある同じくらい大きな星。
 曹操はそれを指さした。
「あれが私で、こっちがお前だ」
 夢見がちな顔でそう言ってクスクスと笑う。
 夏侯惇のあきれたようなため息が聞こえた。
「なにを戯けた…そういうことは女を口説くときに言うものだ」
 そう言って夏侯惇はポケットからタバコを取り出した。
 曹操のタバコに近づけて火をつける。
 曹操は煙を吐き出しながら横目で夏侯惇を見た。
「…口説いているつもりだったのだがな」
「今さらなにを…」
 夏侯惇は片手で曹操のタバコを持った手を押さえると、ごく自然に唇を重ねた。
 タバコの香りが交差する。
 真下の喧騒がどこか遠くから聞こえてくるような気がする…。
 曹操のタバコが灰となって落ちるまで口づけは続いた。
 ようやく唇が離れたとき、曹操の頬は微かに赤らんでいた。
「逆だぞ、元譲」
「俺を口説くつもりではなかったのか」
「口説いたほうが主導権をとるものだ」
 ふと見れば夏侯惇のタバコも灰になってしまっている。
 小さく苦笑して新しいタバコを取り出した。
 それに火をつけて曹操の咥えたタバコに差し出す。
 曹操はそれで火をつけた。
 夏侯惇は夜空を見上げる。
 曹操の示した星が蛍のように近づいたような気がした。
 曹操がそっと夏侯惇にもたれてくる。
「そろそろ戻るか」
「いや、もうしばらくだけ…」
 夜空の星のようなふたつのタバコの明かりがもう一度重なった…。
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