ショップのウィンドウの奥から“あいつ”が俺を見ていた。
“あいつ”と同じ目をした…。

「お前が死んでも俺は死なないからな」
 ベッドの中であいつがいきなりそんなことを言った。
「はぁ?」
 俺は少し間の抜けた返事を返す。
 あいつはあくまでも真剣な目つきをしていた。
「俺は偉大だ。俺が死んだら国家の損失だ。だから俺は簡単に死ぬわけにいかない」
「それはいいんだが…それと俺がどう関係あるんだ?」
 俺はタバコに火をつけた。
 するとあいつはさらに意外そうな顔をして俺に言ったんだ。
「関係ないだと? お前は俺が死んだら平気でいられるのか?」
「そりゃあまぁ…」
 おそらく、お前が死んだら生きてられない、みたいなセリフを吐かせたいんだろう。
 まったく…いつまでたっても子供みたいなことを言いやがる。
 俺があいつを無視して黙っていたら案の定すねやがった。
 俺に、男のくせになめらかな背中を見せてそっぽを向いてる。
「おっ、こんな時期にチョウが飛んでるな。あの白いの…なんていったかな」
「…モンシロチョウ」
 背中を向けたままで答える。
「お、観葉植物の葉っぱに止まったぞ」
 ベランダを我が物顔に独占して成長したドラセナを見つめ続ける。
 あいつはたまりかねたように身体を起こし、シーツを巻きつけてベッドから降りると窓を開いた。
 葉っぱにくっついていた白いチョウに触れる。それを捕まえると俺に向かってヒラヒラと振って
みせた。
「ばぁか。チョウなもんか。白い紙切れがくっついてただけだ」
 いたずらっぽく笑って…さっきの不機嫌さはどこへいったんだ。
 あいつは紙切れを放り捨てると俺に向かってダイビングしてきた。

“あいつ”と同じ目をしていたのは子猫。
 行き交う人間に買い取ってもらおうと媚びを売るわけでもなく、ウィンドウの奥から俺をその目で
見ていた。
 傲慢で、我儘で…でも憎めない。こいつもあいつと同じようだ。
「今日からお前の名前は“孟徳”だからな」
 意地悪にあいつと同じ名前をつけてやろう。
 子猫はしかたがないといった顔をしやがった。
 エサは高級なものしか受け付けない。
 身の回りはいつもきれいにしておかないと気に入らない…とことんあいつに似ている。
 俺がかまってやろうとすれば、俺の手からするりと抜け出していくし…なんでこんなやつ
飼っちまったんだろう。
 そのくせ俺がこいつを無視して本でも読み始めれば、本の上に手をかけて俺の邪魔をする。
 まったく…かまってほしいのか、ほしくないのか、どっちなんだ。
 
「おい、帰ったぞ」
 部屋の中はがらんとしていてあいつの気配はない。
 俺は手にしていた荷物を置き、小さなため息をつく。
「…今度はどれくらいだ?」
 自分の家があるくせに居心地がいいからといつも転がり込んできて、さんざん人の生活サイクルを
乱したあげく、またふらりと出ていく。
「馬鹿馬鹿しい! 今こそできなかったことをやるときじゃないか」
 なにしろあいつときたら、いちいち俺のやることに口出しするから。
 だが…ひとりの空間というのはなんとなく落ち着かない。
 俺は何本目かのタバコに火をつける。
「…どこでなにしてるのやら…」

“孟徳”は仲良くなってみればあいつよりずっと“いい子”だった。
 俺の指にじゃれついて遊んでみたり、エサがほしくなれば擦り寄って来たりして…こんなのも悪くない。
「お前にあいつの名前をつけたと知ったら、あいつどんな顔するかな」
“孟徳”が首をかしげた。

 ベランダから見る空が高くなって、アキアカネが飛び始める。
 キンモクセイの香りを乗せて涼しげな風が吹き始めると…あいつが帰ってきそうな気がした。
 あいつが帰ってきたら、会わせたいやつがいるんだ。
 俺は“孟徳”を抱き上げて抜けるような青空へさしあげる。
 ノックの音がした…。
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