森はすっかり春になりました。
 まだ、川の水は冷たいけど雪はもうどこにも見当たりませんし、木々には青い葉が生い茂り始めています。
 ウサギの曹操が巣穴の外に出てきました。
「はるって、気持ちいいなぁ」
 銀ギツネの荀ケが通りかかります。その後ろにこの冬生まれたらしい赤ちゃんキツネがよちよちと
ついていきます。
「うわあ、かわいいねぇ」
「私の子供たちです。曹操さまにごあいさつなさい」
 赤ちゃんキツネはたどたどしい言葉で曹操にあいさつします。
 白馬の張遼がやはり子馬と足を並べて走っていきます。
「みんな赤ちゃんが生まれたんだ…」
 曹操はなんだかうれしくなりました。

 春はまた恋の季節でもあります。
 曹操はてくてく歩いて大川の近くへやってきました。普段は渡ることのできない川ですが、冬の
あいだに腐った木が倒れたのでしょう。橋がかかっています。
「いってみようっと」
 おっかなびっくり丸木の橋を渡ります。
 橋を渡った向こうはもう曹操の土地ではありません。初めて見る川向こうのものは、曹操のところに
あるものとあまり変わりはありません。でも
「こんにちは、こんにちは」
 だれかがきれいな声で歌っています。
 曹操が木を見上げると、枝に2羽のカナリアが止まって鳴いているのでした。
「うわあ、きれいな小鳥さん…ねえねえ、お名前教えて」
 するとカナリアはまたきれいな声で答えました。
「私は大喬」
「私は小喬」
「大喬ちゃんと小喬ちゃん…かわいいなぁ」
 このふたりが曹操の森にきてくれて、毎日きれいな声で歌ってくれたらどんなにステキでしょう。
「あ、あのさ。ふたりはどんな食べ物が好き?」
「果物よ」
「私たち、果物が好きよ」
「じゃあさ、孟徳の森においでよ。孟徳の森にはいろんな果物がたくさんあるよ」
 曹操は必死になって話しかけますが、二喬はチチチと笑っているだけでちっとも降りてきてくれません。
「ねえ! 一緒においでってば!」
 焦れた曹操は二喬の枝に向かってジャンプしますが、曹操のジャンプ力でも届くはずはありません。
 何度も何度もそんなことをやっていると、大きな鳥が舞い降りてきました。色とりどりの羽を持った
とてもきれいなゴクラクチョウです。
「こんなところでなにをしているのだ」
 ゴクラクチョウはようやく曹操に気づきました。
「うん? そこのウサギは…曹操だな」
 ゴクラクチョウが二喬を抱きかかえるようにしているので、曹操はおもしろくありません。
「お前、だれだっ。二喬は孟徳のところへくるんだぞ」
「私は周瑜。貴様のようなウサギなぞに二喬は渡さん」
 周瑜が促すと二喬は遥か彼方へ飛び去っていってしまいました。曹操は呆然とふたりを見送ります。
それと同時に周瑜が憎らしくてしかたなくなってきました。
「やいっ、降りてこいっ。降りて孟徳と戦えっ」
「愚かな…我ら鳥が地に降りるなどよほどのことだ。貴様のような愚かウサギを相手にしているヒマはない。
とっとと自分の巣穴に帰れ」
 そう言い放ち、周瑜もまた飛び去ってしまいました。
 曹操はぷりぷり怒って、足を踏み鳴らします。
「ちぇっ。なんだい、周瑜のいばりんぼ。地面に降りてきたら、孟徳や元譲や許チョでやっつけてやるのにっ」
 周瑜は曹操より大きいのに、そういばってみせます。
 でも…曹操が聞いたことのない鳥の鳴き声や、うっすらと暗い森の様子に、ここから先に進むには
なんだか気味が悪いです。
「ふんっ、今日は帰ろうっと」
 曹操が橋を渡っていつもと違う匂いのする道にいってみると、曹操と同じ真っ白なウサギがいました。
「うわあ、かわいいウサギさん…!」
 曹操よりもお姉さんでしょうか。
「あ、あの…」
 曹操はもじもじしながら近づきます。
「あなた、だれ? 私、雛氏よ」
「孟徳…! ねえ、孟徳のおうちへ遊びにこない?」
 勇気を出して誘ってみますが、雛氏の表情は暗いものです。
「早く私から逃げて」
「え? ど、どうして?」
「私はヒトに飼われているの。ヒトは私をオトリにしてウサギを捕まえるつもりなのよ。だから早く逃げて」
 風に乗って漂ってきたもの、それは以前に一度かいだことのある人間の匂いでした。
 あわてて飛びのいた曹操の横を銃弾がかすめます。
「わああん!」
 曹操は雛氏を気にしながらも一目散に森に逃げ帰りました。

 巣穴の中にオオカミの夏侯惇がいました。
「どこいってた?」
 優しい声に思わず涙が浮かびます。
「川の向こうに二喬がいたんだ。そしたら周瑜がいばって…雛氏がヒトに飼われてて…」
「おいおい、なにを言ってるのか、わからんぞ」
 やがて曹操はしゃくりあげ…夏侯惇の胸にしがみついて泣き出してしまいました。
「よしよし…」
 すべての話を聞いた夏侯惇は曹操をギュッと抱きしめて、顔中を舐めてくれました。
「孟徳にはまだ早かったな…大丈夫だ、そのうちいくらでも女など見つかる」
「王さまになったら?」
「ああ」
「そしたらいっぱいきれいな声の鳥やかわいいウサギとおともだちになれる?」
「ああ、好きなだけ」
 夏侯惇の暖かい胸に抱きしめられながら、曹操は早く王さまになりたいなあと思いながら眠りの
中に入っていきました。
 曹操の恋はまだ始まらないようです。
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